印章の歴史

印章の歴史

印章の始まりは6000年以上前のメソポタミア

 印章の起源はメソポタミア(現在のシリア)と言われています。当時使われていた印章は、円筒形の外周部分に絵や文字を刻み、これを粘土板の上に転がして押印していました。文字はまだ発明されていない時代で、印影は幾可学的な模様や動植物などでした。印章を持っていたのは当時の有力者たちで、自分独自の印章に紐を通して首に掛け、必要に応じて使用していました。材質は石や宝石などです。
 この頃の印章は現在のように【認証】という機能ではなく、壺や袋の結び目に貼り付けた粘土に捺して「カギ」としての役割を負っていたのではないかと言われています。このように所有者および責任者を示すために、泥にハンコを捺して封印したものを「封泥」と言います。「封泥」は倉庫などのドアにも施されていたいうから、紀元前6000年頃、すでにハンコは所有者、責任者を示す大切な役割を担っており、社会的な地位も高かったのではないかと推測されます。
 その後、印章は世界各地に広まり、東はシルクロード、中国を経て日本へ、西はギリシャ、エジプト、ローマを経て欧州各地に影響を与えました。現在の欧州には印章制度はありませんが、現在も封蝋やスタンプとして文化が残っています。

日本の印章のあゆみ【奈良時代から明治まで】

奈良・平安時代にはハンコが政治や律令制度などで重要な役割を占めました。当時はまだ貴族や大名など権力者だけのアイテムでしたが、やがて江戸時代初期(1610年頃)から農民が自ら彫刻したものを文書に捺印するようになりました。この頃、ハンコの偽造をした者は処刑にされていたほど重要視されていました。
 1600年代中頃になると印判師、判子屋と呼ばれる商売が登場し、商人、町人に印章の文化が広まりました。元禄7年の御料御代官所名主五人組御定書には「普通の小百姓の印鑑は名主に、名主や年寄りの印鑑は支配人(代官など)に届けるべき、ハンコを他人に預けてはいけない・・・」などと記されています。
 ハンコが一般庶民の間に普及したきっかけは江戸時代の「五人組」制度です。ハンコを持つ階層が広がり、いろいろな地域の文書に町民や農民の印影を見ることができました。ところが、それらほとんどが印肉ではなく、墨を使って捺印されていた。
 その後、寛文~正徳年間(1661~1716)になると、庶民の間で黒の印肉が使われるようになりました。当時は公的で重要な文書には朱肉による印影を捺し、軽微な事柄や私的な文書には黒印が用いられました。江戸時代の庶民階層では、墨や黒の印肉が主流でした。その理由は、朱肉自体が庶民には手が出ないほど高級品だったからです。
 明治に入り、さらにハンコ、捺印の重要性が高まるきっかけになったのが、明治4年(1871年)の「太政官布告」です。個人の印鑑を庄屋や年寄りなどに登録し、何かあったときに照合するという現在の印鑑登録制度の基礎が作られました。これ以降も太政官布告はハンコに関係する法令をいくつか布告しました。そして自筆(サイン)よりもハンコをハンコを重視する方向を決定づけたのが明治6年7月に出された太政官布告です。証書の類に爪印、花押などを用いることを禁止、同年10月1日に発布された太政官布告では「証書には必ず実印を捺すこと」が定められ、実印のない証書は法律上、証拠とならないことを定めました。
 この布告が事実上の日本の実印制度の誕生となりました。これを記念し、現在では10月1日を「印章の日」として全日本印章業組合連合会(当時・現 公益社団法人全日本印章業協会)が制定し、この日にあわせて、使わなくなったハンコを供養する「印章供養」などが全国各地で行われています。



◇印鑑(はんこ、印章)の種類◇

・個人印(個人用の印鑑)

実印
銀行印
認印
訂正印
など

・法人印/会社印(法人用の印鑑)

代表印/代表者印
角印/会社印/社印
会社銀行印/法人銀行印
割印
など


◇印鑑(はんこ、印章)の素材◇

象牙(種類は多種、採取した部位により印材の価値が変わります)
芯持ち象牙
大角牛(旧名:オランダ水牛)(主に2種類-白い飴色をした印材と、飴色の中に茶色や黒の模様が入っている印材)
黒水牛
薩摩本柘
アカネ(旧名:シャム柘)
アグニ
マンモス
など